2014年4月10日木曜日

漢検1級 25年第1回 読み取り の問題文自体が難解なもの


漢検1級 25年第1回 読み取り の問題文自体が難解なものを自分なりに調べた


25年第1回 読み

2) 委蛇として隈澳に傍う(そう)
わいいく

墺  漢検なし
礇   〃

奥は意外にトラップ漢字だった。

奥はイクとも読む。しかし、漢検ではこの音読み採用していない。
奥はオウという読みだけしかない。なぜか分からない。

奥は偏が付くと、イクという音読み。すべてイク

さらに、澳は音訓異義異読で、イク=くま。オウ=おき。

隈澳とは、湾曲して入りこんだ水際。なので文章はヘンです。委蛇が、湾曲しているという意なので。


ぐにゃぐにゃっと水際に沿っている。という文意だが、何が沿っているか不明。

おまけ、襖(ふすま)だけは、オウ。

参考 One On One  http://ameblo.jp/wataruyagawa/


15)風声鶴唳を以て勍敵となす


16) 蕈中の奇は松茸に若くは莫し。

しんちゅう

意味は、キノコの中ではマツタケが最高若くは莫しとは、「及ぶのはない」という最上級の言い回し。

当て字
20−① 香蕈
15−① 〃

しいたけ

覃(たん)という読みが多いが、草冠、竹冠は違うというトラップ

簟席=テンセキ
奇譚=キタン
潭=たん
鐔=たん

蔬中の奇は蕈に如くは莫し。蕈中の奇は松に如くは莫し。松中に又た釘有り、笠有り、傘有り。柏木如亭の「詩本草」

「蕈」は「きのこ」。音読みは「シン、ジン」ですが難しい。「香蕈」(コウジン=香蕈シイタケ)、「松蕈」(ショウジン=松茸マツタケ)。「きのこ」には「茸」「菌」も。「蕈中」は「シンチュウ」と読ませている。次の「松」は「マツタケ」のこと。



17)腥羶(せいせん)の窟に 交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり。

 簡素生活と菜根譚題詞
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 将軍の唱えた再建の三原則「都市解体」「農工一体」「簡素生活」を知り、なかでも「簡素生活」、
 これは墨子(節用)、老子(知足)、顔回・原憲(貧楽)、墨・道・儒のミックスで、かつ私の理想
 とする生き方である、于孔兼が洪自誠の著書『菜根譚』に贈った題辞に通じるものだと直感した。
 ここで紹介する于孔兼の隠棲は、まさに西山での将軍の生活そのものを描いているように思える。
.....
.....
  菜根譚題詞 - 三峰主人 于孔兼
  逐客孤踪(ちくかくこそう)し、蓬舎に屏居(へいきょ)して、方以内の人と遊ぶを楽しみ、
  方以外の人と遊ぶを楽しまざるなり。
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  妄(みだ)りに千古の聖賢と、五経の同異の間に置辯(ちべん)するも、
  妄りに二三の小子と、雲山変幻の麓に浪跡せざるなり。
.....
  日に漁父、田夫と、五湖の浜(ひん)、緑野(りょくや)の[土幼](おう)に朗吟唱和して、
  日に刀錐(とうすい)を競い升斗を栄とする者と、冷熱の場、腥羶(せいせん)の窟に
  交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり。
.....
  間(まま)、濂洛(れんらく)の説を習う者有らば、之を牧(やしな)い、
  竺乾(じくけん)の業を習う者は、之を闢(ひら)き、譚天雕竜(たんてんちょうりゅう・談天雕竜)の
  辯を為す者は、之を遠ざく。
.....
  此れ以て予が山中の伎倆(ぎりょう)を畢(お)うるに足れり。
.....
.....
  菜根譚題詞 現代語訳(中村璋八・石川力山/講談社学術文庫)
  私の生き方は、来客を断りひとりで行き、粗末な家に閉じこもり、儒教を奉ずる人々と遊ぶのを楽しみ、
  儒教以外の人々と遊ぶのは楽しまない。
.....
  すぐれた聖人や賢人たちと、むやみに儒教の五経についてその異同を論議することはあるが、
  みだりに身近にいる門人達と、変化する雲や山の景色の中を、あてもなく歩きまわるようなことはしない。
.....
  毎日、素朴な漁師や農夫達と、五胡の水辺や緑野の窪地で朗吟し唱和したりするが、
  毎日、わずかな利益を争い、わずかな俸給を名誉とするような人達とは、
  冷熱のすさまじい役人の世界や、互いに奪い合うなまぐさい俗世間で、仲良く付き合おうとはしない。
.....
  時折、宋の儒者達の道学を習おうとする者があれば、これを育て養い、仏教の教えを習う者には、
  その間違いを指摘して導いてやり、大言壮語する嘘つき連中はこれを遠ざける。
.....
  このような生活態度は、私の山林における生き方を全うするのに十分である。
.....
.....

せい‐せん【××羶】

1.           なまぐさいこと。
2.            「土穴に―の気がある」〈鴎外魚玄機

ぎょ‐げんき【魚玄機】
844ころ~871ころ]中国、唐代末の女流詩人。長安の人。字(あざな)は蕙蘭(けいらん)・幼微。詩文の才能で有名になり、女道士となったが、召使いの女を殺して死刑になった。森鴎外の小説「魚玄機」の主人公。
今弟の語
ことば
を聞いて、小婢
しょうひ
の失踪したのと、土穴に腥羶
せいせん
の気があるのとの間に、何等かの関係があるように思った。そして同班の卒数人と共に、
すき
を持って咸宜観に突入して、穴の底を掘った。緑翹の屍は一尺に足らぬ土の下に埋まっていたのである。
zora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html



20) 好言は口よりし、莠言も口よりすの意味

 立派なよい言葉は口から出る物だが、悪い有害な言葉もまた、口から出ること。「好言」よいことば。「莠言」有害な言葉。「莠」水田に生える有害な雑草。



19)気風春日の煦育するがごとし


12)恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり




恋愛至上主義(れんあいしじょうしゅぎ)とは、恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。


日本においては、明治時代の北村透谷の思想が恋愛至上主義のはしりである。北村は、「厭世詩家と女性」で、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」と主張し、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。
透谷の思想はニューイングランドから渡ったものであり、キリスト教徒である北村が、恋愛に自由と理想を求めたことがこの言説の背景にあった。
大正時代、厨川白村エレン・ケイの影響を強く受け、『近代の恋愛観』を著し、「恋愛は悠久永遠の生命の力がこもる」という言葉が当時の若者を魅了した。恋愛のない見合い結婚を「売春結婚」であり「畜生道」にすぎないと非難、日本には古来より「恋愛至上」の思想があると主張し、恋愛結婚を理想化して話題になった。
恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。そのような恋愛を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。情熱が切れれば分かれなければならない。また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。たとえ片思いであっても、心の底からの「情熱こそがすべて」であるのが恋愛至上主義である。


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